住吉神社
掛町が港町であった面影を残すものとして、住吉神社がある。住吉神社は旧日の丸写真館の南隣に位置し、航海安全の神として、表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神が祀られ、文政8年(1825)の銘のある鳥居・狛犬・手水鉢、文政9年(1826)の銘がある灯籠、楠通を挟んだ向かい側には船舶の標識とされた文政8年(1825)の銘がある常夜灯が現在に残っている。
住吉神社の勧請時期は不明だが、常夜灯には廻船業を営んでいた原(種屋)甚五兵衛の銘が刻まれ、文政8年(1825)の玉垣には同じく種屋や製塩業にあわせ廻船業を営んでいた米屋(吉井家)、掛町にて問屋業を営んでいたみちよしや(堂面家)の銘が刻まれており、当時の港に関係する商人からの信仰の厚さが窺える。

7月末の土曜日、日曜日に行われる住吉祭は、航海安全・商売繁盛を祈願する住吉神社の夏季祭礼として、また竹原を代表する夏祭りとして時代を経るごとに変化しながら今に伝わっている。

やっさ踊り
竹原やっさ踊りは、文禄3年(1594)、文禄の役に参加した小早川隆景が定林寺(現在の照蓮寺)に銅鐘(高麗鐘・重要文化財)を寄進した際、小早川隆景の凱旋を祝って、住民が喜び、手を振り、足を振り、万歳をするような形で唄い踊り狂ったことが起源と伝えられている。(竹原春秋 郷土史と民俗 第16号)
現在に伝わる竹原やっさ踊りは、旦那衆の座敷遊びで芸妓が踊っていたものを基本として、踊り手によって踊りや唄がバラバラであったものを、誰もが踊ることができるようにと振付や唄を統一したものである。

 
 
 
住吉神輿

住吉祭2日目には、竹原市内の厄年(前厄、本厄、後厄)を迎える男性によって神輿の陸上渡御が行われる。
午後3時、住吉神社を出発した神輿は、「チョッサじゃ」の掛け声の下、港町として発展した掛町、掛町の発展とともに市街地化した享保町、栄町と順に回る。享保町、栄町には明治時代後期から昭和戦前の建物が多く残っている。
 
 
 
 
 
 
かいでんま

港の役割を果たしていた本川では、住吉祭両日、櫂伝馬が奉納される。櫂伝馬は、長さ約12m、幅約1.5mの細長い木造船で、左右7人の漕ぎ手(水主(かこ))、船頭となる大櫂、太鼓打ち、袴姿の采振りと剣櫂が船首、船尾にそれぞれ乗り込み、太鼓のリズムに合わせ、「報恩栄弥栄弥栄 宝来栄弥歳の歳々(ほうおんえいやえいやえいほうらいえいやさいのさいさい)」の掛け声の下、漕ぎ手みんなの息を合わせて1.5mの櫂を力いっぱい漕ぐ。櫂伝馬の一番の見せ所はターンで、船頭が2.5mの大櫂を自在に操り、川岸ギリギリで櫂伝馬を回す姿は、船と密接に繋がり発展した竹原の歴史に基づく高い技術が伝承されていることを改めて認識することができる。

竹原の夏の風物詩として賑々しく行われる住吉祭における竹原やっさ踊りの熱気、太鼓の音、神輿の担ぎ手や水主の勇ましい掛け声が、住吉神社や伝統的建造物群保存地区とその周辺地区の江戸時代から昭和戦前までの様々な建築が軒を連ねる歴史的な町並みと一体となり、往時の港町としての発展・繁栄を感じることができる。

※住吉まつり・住吉神社については竹原市の「竹原市歴史的風致向上計画」に詳しく説明されています。
ここでは許可を頂き資料より抜粋して利用させて頂いております。「竹原市歴史的風致向上計画」に
掲載の住吉関連の部分の資料はこちらです。